箱根駅伝2区のモグス君からの教わったこと

右脳トレ実践編

2009/01/03
実は体育の成績はずっと「3」の私でしたが、スポーツ観戦するのは大好きなのです。
特に、マラソンと駅伝は大好きです。

仕事で出かけるときは録画するくらい・・・、好きです。

 

 

箱根駅伝のあるお正月は、もうソワソワです。
今年も花の2区を見ました。

ここは各大学のエースがしのぎをケズル区間です。

日大のダニエル君が20人のごぼう抜きを達成しました。
そのときの形相がすごかったです。

一人必死についていったのが、中央学院大学の木原君がすごかったのです。
もうだめだ!
ケニアから来たダニエルだから・・・体力が違うもん。

そう、思うって普通だとおもいます。
だから日本人の体力ではだめだ!  

すぐにあきらめる・・・(きっと私ならすぐにあきらめたでしょう・・)

でも木原君は、抜いて抜かれて、また抜いての繰り返しでした。

今の私に、必要な場面でした、ハイ。

ただ、2区の最高は、山梨学院大学のモグス君でした。
昨年区間新を出したのに、今年も19秒も上回り区間新を出したのです。

一人、ひたすら走ったのです。
ダントツ1位に走っていたので、誰もいないのです。

他の選手は競争相手がいたので、競り合っての相乗効果があったと思いますが、
モグス君は一人で、自分の目標との戦いだったのです。

そしてそれを支えたのは、上田監督でした。
個人的には大好きな監督です。

後ろの車から
監督の声がけがすばらしいのです。

「いいぞ、いいぞ」
認めている声がけは、力になるのでしょうね。

モグス君が 疲れ果てているときには、
「お母さんが沿道でみてくださっているぞ」
(ケニアから初めて応援にきていたのです)

あと少しの距離のときは、(記録との戦いだったので)
「チームのために、がんばってくれ」

テレビからもこの監督の声は聞こえてきました。

区間新のインタビューには、
モグス君は「面白かった!」の繰り返しでした。
たどたどしい日本語でよく話してくれました。
お兄さんを亡くされたモグス君、
「1月4日以降そのことを思い出します。」といっていたそうです。

チームで、一つの目標優勝することにフォーカスしているのです。

ふと、お給料をもらっていた会社員だったときに見ていた箱根駅伝とは
ぜんぜん違う見方をしていることに気づきました。

事業を展開している今のわたしには、この箱根駅伝のタスキは、
重要なものなのです。

タスキをつなぐ選手たちは、自分一人ですまない出来事です。
「もういい!」
と思う事があっても、つながないといけないのです。

1区の選手が走っているときに、2区の鶴見中継所での様子が

テレビで映されていましたが、
ダニエル君とモグス君が楽しそうに話していました。

ほんとうに笑顔で話していたのです。
笑顔でこれから戦うライバルと笑顔で話しているのです。

実際に、2区の記録は、1位がモグス君で、2位がダニエル君でした。

これは、勝利の秘訣だと思いました。

上手に書けないのですが、そう、感じたのです。

お正月にこのような番組があるということは、すばらしいです。

目標設定のセミナーもいいのですが、

「感情」に響く駅伝からは、数々の仕入れがありました。

う~ん、私を後押ししてくれる時間でした。