心が温まるCM~姑との思い出から

副業のヒントと応援

2011/03/31
「”心は”は見えないけれど”心づかい”は見える」
「”思い”は見えないけれど”思いやり”はだれにでも見える」
 ・・・という言葉、地震のあと皆さんは、
もう何度も耳にしていらっしゃるのではないでしょうか?

 そう、これはACのスポットCMで繰り返し流れている言葉です。

妊娠中の女性に、電車で席を譲ってあげようと思うけれど、できない男子高校生のCM・・・。

このCMを見るたびに、私自身が妊娠中だった頃の姑の思い出がよみがえります。

私は、臨月のときに産休直前まで、単身赴任で東京で仕事をしていました。
ある時、普段は仙台在住の夫と舅、姑がわざわざ出てきて、横浜で食事をごちそうしてくれたことがありました。

その時、電車で移動しました。
私の大きなお腹をみて、ある女性が、車両の中で遠く離れている私のところに声をかけにきて、席を譲って下さいました。

そのあと女性は、私の席から離れて立って下さっていたのですが姑が電車の揺れる中、わざわざその女性のところに
「席を譲ってくださってありがとうございました」と挨拶に行ってくれたのです。

その姑は、この3月30日で、突然父の腕の中で亡くなってから11年になります。

あの時、田舎びとの姑は、横浜という都会の電車の中で、席を譲られたことに、素直に感動したのでしょう。
電車が揺れる中、嫁である私のために、女性にわざわざ近寄ってお礼を言って、頭を下げたのでした。

そして私は、そんな姑の姿に素直に感動、感謝した気持ちをこのCMを見るたびに思い出すのです。

CMは、妊婦さんやおばあさんに、男子高校生が心を動かされる様子を描いていますが、

「”心は”は見えないけれど”心づかい”は見える」
「”思い”は見えないけれど”思いやり”はだれにでも見える」

という行動は、妊婦や高齢者以外の人々に向けても、起していけるものだろうと、私は感じます。

特に今は、これまでに誰も経験したことのないような、大きな地震を経験し、その激しい震災の中にあります。

ボランティアをしたいけれど、具体的には何をしていいのか分からないという方も、とても多いと思うのです。
そんな状況の中、このCMは、人間が、特に日本人が、本来心に持っているもの、

何か人の心がうずくような感情を引き出したり、あるいは感謝の循環を起したりというような、見る人自身に気づきをもたらすような力があると感じます。

(私は、右脳トレーニングの講師をしています。
その視点から見ても、このCMのようにいいエネルギーの「繰り返し反復」には、脳が喜んで反応する・・・と感じてしまうのです。)


「”心は”は見えないけれど”心づかい”は見える」
「”思い”は見えないけれど”思いやり”はだれにでも見える」

この言葉を含む、詩の作者、宮澤章二さんは、実は6年ほど前に他界しておられます。

今、この状況で、日本中でこのCMが流れていることを宮澤さんがご覧になったら、どんな風に感じられるのだろうと
興味深く思います。

「皆さんは、このCMをご覧になって、どう感じられますか?」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 行為の意味
宮澤章二

-あなたの〈こころ〉はどんな形ですかと ひとに聞かれても答えようがない
自分にも他人にも〈こころ〉は見えないけれど ほんとうに見えないのであろうか

確かに〈こころ〉はだれにも見えないけれど〈こころづかい〉は見えるのだ
それは 人に対する積極的な行為だから

同じように胸の中の〈思い〉は見えないけれど〈思いやり〉はだれにでも見える
それも人に対する積極的な行為なのだから

あたたかい心が あたたかい行為になりやさしい思いが やさしい行為になるとき
〈心〉も〈思い〉も初めて美しく生きる-それは 人が人として生きることだ

『行為の意味~青春前期のきみたちに』宮澤章二
(ごま書房新社)から・・・