世界史26点と万里の長城をつなぐ

子育て(~15才)

息子がテストでユウキの算数36点のことは棚に上げていましたが・・・、

実は、実は、私、高2の時世界史で26点を取りました。

そのときに職員室に呼ばれました。

「こんなことでは、希望の大学にはいけないぞ・・・」

わかっているのですが、心の奥ふか~いところではこんなことを考えていました。

中国の国の名前を覚えて何になるのだろう?

 

100点をとった友人に尋ねました。

 

どうやって中国の国の順番を覚えたの?

 

そうしたら、「そうね、関連づけて覚えるのよ・・・」と言われたのです。

 

へぇ~、すごいなぁ。

でも私はしない! と決めたのです。

数年後、国際線の客室乗務員になったときに、北京の万里の長城にいきました。

 

壮大な工事は、「権力がなければできないだろう・・・」と思ったのです。

これだけの大きい土地で、万里の長城をつくること・・・、そして、国の名前がどんどん変わった理由も

わかったように感じました。

もし、もしの話ですが、世界史の先生が、この万里の長城に実際に行かれて、中国の歴史を

話されたら、どんなに違っただろうと思いました。

私も、ワクワクして、そうで?  それで?  と引き出されたかもしれません。

 

今なら、ネットですぐに調べることができるので、映像をいくつか見せてもらえたら

 

どんなに、イメージができるでしょうか?

 

 

私自身も描かせていく、そんな子育てをしていこうと思いました。

ちなみにこの世界史の先生は、森田 斉先生ですが、3年生のときの副担任でした。

この先生には、「いいか、君たちの世代で結婚適齢期の年齢をあげるんだよ・・」

と、言われたのだけは、しっかり覚えていました。

 

鹿児島は、閉鎖的で、20歳すぎたら、そのころは結婚でした。

活気的な発言でした。

 

そして、世界史は26点で赤点でしたが、そう、「結婚適齢期の年齢」は、しっかりと守り

37歳で結婚したのでした。

 

32年後に90周年同窓会の催しでお会いしたときに、走っていって森田先生にそのことをお礼を申し上げました。

 

「そうか、お前はえらいぞ」と褒めてくださいました。

26点の汚名がやっと32年ぶりに晴れたひとときでした。